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はな通信NO46 平成29年 冬号

 新年明けましておめでとうございます。
皆様には健やかに新春を迎えられたこととお喜び申し上げます。
本年の干支である「戌」には、「勤勉、努力家」という意味があるそうです。
 今年は、「ワン」ランク上の目標を掲げ、「ワン」ダフルな一年になりますように、スタッフ一同、目標達成に向けて努力して参ります。
どうぞよろしくお願い致します。

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冬の思い出

  • ファディへ♪ファディへ

    天気も良いので、近くのファディへ。
    “美味しいね~”とコーヒーとケーキを堪能しました。

  • 芋ほり芋ほり

    今年はこんな大きなお芋が収穫できました。“すごいね~!”顔よりも大きなお芋にみんなびっくりです。

  • スイートポテト作りスイートポテト作り

    収穫したお芋を使ってスイートポテトを作ります。今年のお芋は甘さも十分!!
    手作りしたおやつは格別ですね。

  • クリスマス会クリスマス会

    ボランティアの方に来ていただきクリスマス会が始まりました。帽子をかぶってサンタクロースに変身です。歌にハンドベルに楽しいひと時を過ごしました。

  • 餅つき餅つき

    “ヨイショ~!ヨイショ~!”窓越しに威勢の良い声が聞こえます。力強く餅をつく様は冬の風物詩ですね。

  • 福笑い福笑い

    お正月恒例!福笑いに挑戦!口はどこかな~?出来上がった顔を見て大笑い。“笑う門には福来る”今年もたくさんの福が舞い込みますように。

幼い頃の思い出

私は満州の瀋陽で生まれました。
満州には19歳頃まで住んでいましたが冬は零下40度ととても寒く、9月の終わり頃から暖房を入れ、だいたい4月いっぱいまで使っていました。
燃料の石炭は豊富で、私の家は中国人のボーイ2人と日本人のお手伝いさん2人がいて、ボーイの1人が暖房の世話をしていました。
冬になると、学校の運動場に水を流し、とても広いスケート場が出来ていました。
夏は涼しく、プールもあり水泳もできました。
私は幼い頃から体が弱く、扁桃腺がすぐ腫れ熱も出て病院通いばかりでした。
小学6年生頃から体も丈夫になってきて、フィギアスケートの選手をはじめ、陸上ではリレーの選手、バレーボール・ハンドボールと実にスポーツ好きの万能少女だったと思います。
年に1回は佐賀県の唐津まで海水浴にきていました。
勉強はいまいちでしたが、おしゃべりも歌も大好き、兄が本好きで家には大きな書架がズラ~ッと並んでいました。
私もクラス1番の読書家だったと思います。
勉強はいまいちと書きましたが、満州では教員免許を取得しました。
戦争中は、食料運びから家族の守りまで、中国の人達はよくしてくれました。
収容所へは馬車で送ってくれたり・・・とてもお世話になりました。
終戦になって両親の里、柳川へ引き揚げてきました。
それからは柳川藩の別邸だった「御花」に呼ばれダンスを習ったりで、柳川には10年ほど住んでいましたが、風光明媚で菓子やウナギも美味しく、私にとって満州も柳川も本当に良い所でした。
                           

文、鈴木 和子様

幼い頃の思い出

私は大分県直入郡玉来町で生まれ、昭和19年まで住んでいましたが、ここはその10年後に瀧廉太郎の“荒城の月”で有名な「竹田市」となりました。
昔、岡城は中川藩が治め、豊後の小京都と呼ばれた静かな城下町です。
当時、玉来では地形と川幅の関係か、洪水で流される橋も多かったようです。
また、多いと言えば、竹田は70以上ものトンネルがあることですが、日本一トンネルが多い町としては、あまり知られていないようですね。
私が幼い頃、家は農家でしたが、父は学校の教師をしていました。
母は当時お隣りだった明治村出身で、母の妹も教師でした。
私は祖母の大きな愛情を受けてとても大切に育てられた“おばあ様っ子”だったようです。
外で手を汚す遊びはダメで、お手玉やかるたとりで遊んでいました。
そして祖母は亡くなる日の朝まで私を抱いていたそうです。
子供の頃は男の子によく泣かされていましたが、女学校を卒業し女子青年団に入るなどでたくさんの友人もできました。
「やろうと思ったらやらにゃあならん、何にでも挑戦する!」が私のモットーです。         

文、越智 千代美様

幼い頃の思い出

回想記

登校する子供たちの後ろから聞き慣れた音が近づいてきました。
「せんせ、押してやろうか!」「おう、たのむ!」子供たちは坂道にあえぐバイクとせんせに駆け寄りました。
名作『二十四の瞳』ではありません。それよりず~っとあと、東京オリンピックの少し前ですから、ご入居の皆様が三十代の頃の話しになりそうです。
都会ではオリンピックに備え、とんぼの大群のようにテレビのアンテナが並んでいましたが、ここ炭鉱の町のアンテナはちらほらで、先生が乗るバイクは古くもないのになぜか自転車のペダルが付いていました。
そうです!力がないバイクなので坂道ではここぞ!と思ったとき“立ちこぎ”してでも応援しないとバイクが停まってしまうとか・・・
そんなことを知っているのか中学の悪ガキどもは親のバイクを乗り回して「あの峠をノンストップで走った!」とか「展望台まで上り切った!」などの自慢話しがもてはやされていたのです。
夏休みになる頃、毎年遊びに来る友がその年も日田からやって来ました。
今、思い返してみると、俳優の山内賢に似た美男子で、絵や音楽をはじめ何をさせても全てハイレベルな感じでした。
呼び出されて行ってみるといま大人気のテレビドラマの“陸王”ではありませんが、同じ呼び名の“陸王”という水色の大型オートバイが目の前にありました。
そこで友が「今から学校に行って、父のこのオートバイを乗り回そう」と誘うのです。
もちろんそうしましたが、それだけでは満足しません。
どうしても登坂力を試したくて、二人乗りで思いつくまま坂道を求め、すごい音と振動に酔い痴れながら走り回りました。
それからどれくらい経ったでしょう。
いつしか登山口に着きました。そこには一台の白いジープが待っていました。
「なんで~?」 その車の屋根には赤いランプが回っていました。
そうです、白いジープはそのころのパトカーだったのです。 
そして中から降りてきた友の父は、とても偉いおまわりさんだったのです。  
このあと、こっぴどく叱られたのは言うまでもありませんが、私にはバイクの楽しみが芽生えたのでした。
(その後、大人になって知りましたが、“陸王”は和製のハーレーと呼ばれその値段は家が一軒買えるほど高価だったようですね。大反省です!)  

バイク
  • 今後の行事予定

    2月 ・節分(豆まき) 
    ・バレンタイン
    ・雛人形飾
    3月 ・雛祭り
    ・おやつ作り
    4月 ・お花見(桜)
  • 今後の行事食予定

    2月 ・節分膳 (恵方巻)  
    ・バレンタインランチ
    3月 ・雛祭り御膳
    4月 ・お花見弁当
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