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はな太宰府

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ご入居さまの声

ご入居さまの声

ご入居者さま:手嶋 ウラエさま

はな太宰府に来てみて思っていたイメージとは全く違っていました

1932年福岡県飯塚市に生まれ、九州大学医学部厚生女学部(現医学部附属医療短期大学)を卒業し、九州大学医学部附属病院を勤務後、済生会福岡総合病院に移られたとのこと。
1970年に済生会福岡総合病院婦長、1987年に同病院副看護部長、1991年に看護部長に就任されました。
現在85歳。済生会福岡総合病院で60歳で定年を迎え、その後2年延長して62歳まで働いたとのことです。
副総婦長の時には美空ひばりさんが入院されました。
美空ひばりさんがいらっしゃった3か月の間は、新聞やテレビで頻繁に取材されていましたよ。
と、写真を見せていただきました。
自立できる女性にという母の勧めに従って看護師の道を選びました。
同じ高校から3人が志望しましたが、全員が総婦長、看護部長まで進みました。
はな太宰府を選ばれた理由は何でしょうか?
1年位前に病気をして、めんどうみてくれている甥があちこち見学してくれて、こっちだったら家が近いからちょくちょく来れるよと勧めてくれました。
老人ホームっていったら暗いイメージがあったけど、病気してしまい、好きとか嫌いとかじゃなくどうしても入らないといけなくなって。
でも、はな太宰府に来てみて思っていたイメージとは全く違っていました。
明るくて清潔で親切で・・・本当に助かっています。
甥っ子には、
「いいところに連れてきてくれてありがとう」「私気に入ってるよここ」って心から感謝しています。
ここにいらっしゃる方々はいろんな趣味をお持ちの方がいらっしゃって、私もこんど家に置いてる油絵を持ってきたいと思っています。
甥っ子や友達も遊びに来てくれるから楽しいです。
看護師仲間も定年で暇だからしょっちゅう遊びに来てくれます。
ここは楽しいです。いろんな行事や遊びを提案してくれて一緒に楽しんでます。
ここに入ってまだ半年ですが、みなさん楽しく過ごされています。
職業柄、人を観察するのが得意ですが、それぞれの方々のこれまでの歴史や背景がさまざま。いろんな人がいるので楽しいです。
私も看護師時代は大変だった。それができたのは若さですね。内科も外科もぜんぶ夜勤もやってきました。
それにしても、はな太宰府の職員さんはよく教育されているなって関心しています。
看護師大ベテランの厳しい目から見ても感心してる。よく行き届いていますね。
とお褒めのお言葉をいただきました。

ご入居者さま:Mさま

今の生活は世界が広いから毎日刺激があります

ただいま85歳になられたMさま。「10年前に会ってたらまだ髪がふさふさしてたんだけどね。残念だね。」と明るく笑って言われました。
熊本県玉名町で5人兄弟の末っ子として生まれました。
昭和26年に高校を卒業し、予備校に行ってる時に友達から「警察官になろうか」と誘われ、友達と一緒に受験して合格しました。
熊本県は知り合いばっかりなので、友達が悪いことをしたら捕まえるのもなんだからと(笑)福岡勤務を選びました。
一度その県の警察署に入ったら、ずっとそこから出ることはないので、昭和27年3月からずっと福岡に住んでいます。
警察官採用試験合格後、警察学校に入り、そのころ警察学校は半年だったので半年で卒業して最初の勤務は小倉でした。
終戦後は食べるのが精いっぱいで、ヤミ物資が主な犯罪でした。
警察官も「妊娠してる」って女性が帯にコメを腹に巻いて運んでいたら、ある程度は見逃していたんじゃないかな。とMさま。それだけ生活が厳しかったそうです。
最初に配属されるのはみな派出所勤務で、そこで4年~5年鍛われて、その後登用試験で向き不向きを調べて、配属先が決まるのだそうです。Mさまは捜査関係に配属されたそうです。
平成4年久留米警察署を最後に定年退職されました。
身元調査じゃないけど(さすが元警察官 笑)はな太宰府にはいろんな人がいるけど、職員さんもよく面倒見てくれるから感心してるよ。
目が見えない、耳が聞こえない。そんな人もいて大変だろうけど、職員さんよく頑張ってる。
入居してるのは女の人が多いけど、女の人はこれまでの人生、家庭を守って家を守って子供を育てて、そうとう苦労している。一生涯頑張ってきた。うちの家内もそう。
男の人も仕事に行って頑張ってるけど、女の人はそれ以上に大変な苦労を背負ってきている。
それぞれの大変な人生を、よく話しかけて聞いている。話をすると、このおじさん面白いと思われていますが。(笑)
この人にはこういう話、この人にはこういう話と、いろんな人と話をして楽しんでいます。
これまで一生懸命に生きてきた人たちを、はな太宰府の職員さんがしっかりささえてくれているなと思う。
これまでは自分たちも二人の生活だったけど、今の生活は世界が広いから毎日刺激があり、ちょっといままでとは違うねと家内と共に驚いています。
ここの料理は美味しいです。おかずの種類も多い。
感心するのは、お魚の骨を一本もなく取っているところがすごい。
ここの食事を作る人は本当に大変だと思う。
自分が足を痛めて歩けなくなり、家内も動けなくなってきた。自宅で一生過ごしたいと思っていたが、それがどうしても無理になった。
子供たちにおんぶされるわけにはいかんと思い、家内に相談し、まずは見学ということで簡単な気持ちで来ました。
今は家内と二人で毎日を楽しく過ごしています。
 

ご入居者さま:大山 豊之さま

入居後も書道を楽しんでいます

大正6年、種子島で生まれた大山さまは、6歳の時にお父様がが他界され、10歳の時に、家族で台湾へ移住されました。当時は今と違い、日本から台湾に移住する人達は多かったそうです。
17歳で台湾の有名な書道家に習い、書道を始めたとの事。
20歳から30歳の間は青春の時であろうはずが、太平洋戦争の最前戦で陸軍の歩兵として昼夜にかかわらず戦闘の中に居たそうです。
「昼の行軍はよいのですが、夜間の行軍は灯りも無い暗闇の中、ただ、ただ歩く。歩きながら寝る、という危険な毎日でした。その中で今でも忘れられない事は、ある夜、道に迷い歩いている時、隣の兵士に声をかけると相手は中国の兵士であった事に驚き、死を覚悟したことです。
戦争では辛く悲しい思い出は多くありましたが、最も苦しかったのは日本軍の誤爆で右耳の聴力を失った事です。」と、戦争時の事をお話いただきました。
終戦を迎え、戦後は鹿児島県庁で勤められ、58歳の時に縁あって太宰府市へ転居して来られたそうです。
そこで福岡在住の書道家、坂口雅風先生に師事することになり「慶州」という雅号を取得されました。
63歳の時に県展に入選したことがとても嬉しかったとの事。
その後、公民館で地域の趣味の会などで教えたり、好きな書の時間は生活の一部となり、はな太宰府入居後も書道を楽しまれています。

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